蟻の夢 - 2話
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「僕、ガッコウに行きたい」

「行くもなにも、この辺にはないよ」


この時、初めて僕はこの町に嫌気がさした。






あの日の公園の帰り道を思い出す。

「今日・・は、ありが。とっ」
それは、後ろをついてくる慎太郎が突然言い出したことだった。
喋ると立ち止まってしまうのは、彼の癖らしい。
振り向いてみると、三歩ほど後ろに慎太郎は居た。

なんだろう、この妙な距離感は。

「別に」
冷たく言ったつもりはないのだが、僕は彼に目を逸らされてしまった。
どうして?
逸らされる理由が僕には分からなかった。

「あっ、う。ん・・っ!」
じっと見つめていると、本当に困ったように彼は言う。
目線は相変わらず宙を泳いでいるが、僕に向けた言葉だというのは分かった。

ちゃんとこっちを見て言ってよ。
即座に浮かんだ不満だったが、また慎太郎を困らせてしまうのだけは避けたかった。
困らせるのは楽しいが、あまり困らせると彼は無口になってしまうのだ。


「・・・行こうか、」
差し出せば、手はすぐ握ってくれるくせに。
果てしない壁がある心の距離と、手をつないで繋がった実際の距離の差に、なんともいえない虚無感がやってきた。


なんなんだよ。
虚無感の次は苛立ちがやってくる。

苛立ちに任せて精一杯の強さで手を強く握ってやると、僕の手のひらの中で手が揺らめくのが分かる。

また困らせてるかもしれない。
こんなに目まぐるしく感情が変動するなんて、今までにないことだった。
自分に適応できないのをひしひしと感じた。




しばらく動いていた足が突然に止まる。

止まってしまったのは、慎太郎が歩くのをやめてしまったからだと、しばらくして気づいた。
「っ・・あの、ねっ・・・?」
肩を上下させる姿に僕は見入る。
あまりにも早く歩きすぎてしまったみたいだ。

「ごめん、もう少しゆっくり歩くよ」
ちがう。と言いたげに、慎太郎は大きく首を横に振る。
ふわふわした細い彼のねこっ毛は、それだけで絡まってしまい、めちゃくちゃになってしまった。
思わず、その髪の毛を梳いてしまいそうになった右手を押さえる。
「じゃ、なに・・」

「・・・誠くん」


「・・・!」
それは、予想もしていない言葉だった。
誠、それは僕の名前。
つまり彼は僕の名前を呼んでくれた。
覚えられてないかと、思っていた。
慎太郎の第一印象は、とろくて、物覚えが悪そう。という偏見でしか見ていなかったためだ。

だから、嬉しい。

「あ、の」
嬉しい。嬉しい。

「・・なにっ!」
嬉しいっ!




「がっ、こうって。この町には・・な、い・・・の?」





「・・・・・・・・・ガッコウってなに?」







「お母さんに聞いたけど、この町に学校はないみたい」
次の日もまた、僕は慎太郎と一緒に居た。
今日は公園ではなく、近所の川に来ている。
川とはいっても、日常に出た洗剤やらなにやらを流すための薄汚れた汚水だ。
石垣の上に座って、僕たちはぼんやりとその汚水が流れるのを見下ろしていた。
「・・そ、そっか。」
学校というものを、昨日初めて知った。
そこには、同じくらいの年の子たちが集まって、色々なことをするのだそう。
字を書いたり、話を聞いたり。
遊んだり。
どれもやったことはあったが、学校という響きはなぜかとても胸が踊る。
なにより同い年の人たちが集まるというのは、なにかドキドキした。
昨日でそのドキドキも途絶えてしまったが。
慎太郎の話によると、学校というものは、年によって仕分けされているらしい。
ここにくる前までは慎太郎も学校に通っていて、ゴネンセイ、をやっていたという。

彼の話を聞けば聞くほど、行ってみたいという気持ちで溢れてきた。
だから、つい色々な質問をしてしまう。
その度に慎太郎は答えてくれた。
あまり気乗りはしないようだったが、構わず聞いた。
「楽しいところだった?学校って。」
「えへ・・あんま、り。」
「そうなの?」
「う、うん・・ぼく、はあんまり。好きじゃ・・なくてっ」
「・・・へえ・・」
この質問で明らかになったのは、慎太郎は学校が嫌いだったということ。
たくさん人が集まるところは華やかな分、暗い闇の部分も多いと、いつもの口調で教えてくれた。
その毒気に当てられてこの町に来たのかもしれないということも教えてくれた。
勝手に母親がやったことで、自分自身ではよくわからないということ。
学校に行っていた記憶はあるのに、部分的に思い出せないことがあるということ。
「僕はいってみたいな、いろんな人と話したい」
ぽつりと言った言葉に、慎太郎は、ありえない。という顔をしていた。
「あんな。ところ・・・・」
どうしてそんなに忌み嫌うんだろう。
行ったことがない僕にはまったく分からない。
石垣の上で足をぷらぷらさせてみても、ここが空虚な場所だと知ってしまってから、僕の寂しさは埋まらない。
自分の知らない世界は山ほどあったのだ。
そんな知らない世界からの来訪人。
彼の目にはこの世界がどう映っているのだろう。
僕には退屈そうに見える。侘しく思える。
「この世界で、退屈じゃない?」
「僕は・・。誠くんが、いる・・から退屈じゃな、いよ・・っ」
「・・・そっか。」
「誠くんが、いたら。たのし、い。し・・・」
「僕も楽しい、ずっと友達なんて居なかったから」

なんだか、僕はそれでいいような気がしてきたのだ。
- - - - - - - 2013/06.04
2話。
この辺から徐々におかしくなる。