狭き世界 - 1話(完結)
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「なあ、やっぱやめね?」
「なんで?」
もう夜の十時を回っただろうか。
時計の秒針と冷蔵庫の機械音。
ましてやこの真夏の夜。
エアコンの音も微かに響いている。
半袖半ズボンの俺にとって室内はやや肌寒いくらいだ。
テレビに目を向けると、その中では相も変わらず華やかな世界が映し出されていた。

「観たくないから」
耳を澄ませばこの部屋には色々な音がある。
会話含め音のたくさん溢れた部屋なのだが、どこか気味悪さを感じるのは俺の気分が地の底まで落ちているからだと思いたい。
「今回のは怖くないって、ていうかむしろ面白い。」
「いっつもそう言うけど面白かったことは一度もないよな?」
二人がけ用のソファは今、男二人分の重みによって沈んでいる。
一人は俺だ。
そしてもう一人は、すぐ隣でお菓子をつまんでいた。
甘いものが苦手な俺を考慮したしょっぱめのスナック菓子を器用に箸でつまんでいる。
箸で食べる様子はいつ見ても慣れない。
テーブルに箸がもう一膳用意されている。
これは俺にも箸で食えと遠回しに言っているに違いない。過去の経験上、確実にそうだ。
以前、彼になぜ箸を使わなければいけないのかと聞いたことがあった。
本人曰く、脂ぎった手でリモコンを触ったりするのが嫌らしい。ティッシュも常備しておきながらよく言う。
変なとこで几帳面なもんだ。
「えー今回のはガチなんだよ」
「ハッ」
鼻で笑ってやると、奴は眼鏡の位置を中指で調整しながら小首を傾げ、こちらを訝しげな表情で見てきた。
「なにその顔。ほんとに面白いんだよ?」
こいつは飄々と嘘をつく。息を吸うことくらいにしか考えてないんだろう。
俺から見ればこいつの言葉には重みも説得力もない。
そこまで分かっていながら俺はことごとく騙されてきた。今回だってそうに違いない。
前例があるんだから。たくさん。
「ホラーの時点で無理だって。帰るときの夜道とかただでさえ怖いのに観た後とか、ほんと無理だから。雪野、やめよ」
「そこはまあ、泊まってけば解決する」
「一人暮らしだからって本当に自由だなお前は。服とかどうすんの?」
「サイズはだいたい一緒だからいいっしょ。てか僕のが少しでかいし入らないかもなんて心配はいらないと思うけど。」
「うっせぇ。最近身長伸びたし。」
「へえ。どっちにしろ、今日は泊まってったほうがいいと思うよ。すぐそこの公園、霊出るらしいし?」
こんな時でも嘘をつくのか。本当にろくでなしな奴だ。
ここまであからさますぎるともはや騙されてやろうという阿呆な好奇心さえ湧いてくる。
「そうなのか」
「僕も最近知ったんだよね」

「え......マジなの?」
「マジだけど」
淡々としすぎなんだよ。
なにが本当なのか本当にわからなくなってきた。
嘘なら嘘でいいが、本当だった時に問題が起きる。
これはいよいよ騙されてやるしかない。
「え、一応聞くけどお前帰りどうしてんの?」
「どうするもなにも普通だろ。あそこ通んなきゃ帰れないし」
「...お前は霊とか怖くないのか?」
「霊に恨まれるようなことしてないよ」
「あいつらはだいたい無差別だろ?」
「知らん」
ほんと掴めない。
雪野とは高校からの付き合いだが、未だに雪野の考えていることがたまに分からなくなる。
いつも微笑を浮かべながら話すものだから、俺はこいつが怒っているのを察するのが遅れたりする。
それに俺とは考えが違いすぎる。
考えが違うからこそお互い飽きずにいい友達として成立しているのかもしれない。
最初こそ、やや粘着質な彼の性格と全てが適当な俺の性格とでは確実に合わないだろうと思っていたのだが、いざ付き合ってみると、意外にも今日まで一度も喧嘩をしたことがなかった。
今となっては同じ大学の同じ学部に通うほど親密な仲になっていた。
現に夏休みまで一緒に遊んでいるし。

そしてこの夏休みで、雪野の住むマンションに通うのも日常となってしまった。
彼の部屋は一人暮らししているとは思えないほど片付いている。
もちろん寝室などは入ったことがないから、そこら辺はどうなっているのか分からない。
だが、見える部分は絶対に散らかっていない。テレビの画面に埃はついていないし、食卓テーブルの上には食べ終わった食器などが置いてあることを見たことがない。一人に対して大きめなテーブルと、椅子が五脚あることは少し気になるが。
俺なら絶対に鞄等もろもろ、床に放り投げたくなる。雪野の家はそれもない。
どうやって暮らしているのかはとても気になる。

「ねえアキ。レンタル料金がもったいないと思うよね?ただでさえ延滞料金が三日分も溜まってるんだから」

「ま、まあ...?」
アキというのは俺の呼称だ。
苗字の畑田で呼んでほしかったのだが、発音しづらいということで却下された。
本人も気にしているから直接言いはしない。でも雪野は少し滑舌が悪いと思う。
なので、最初は下の名前である晶弘に君付けだったのだが、時間が経つことにどんどん呼び方は砕け、最終的には、アキ。
それが嫌というわけではない。
ただ、俺が苗字呼びなのに対して、向こうだけがあだ名呼びなのは、妙な温度差がある...気がしたのだ。
あるかないかを決めるのはあくまで周りなのだが。

俺は基本めんどくさいこと思ったことはすぐに放棄する。
雪野の変な提案も基本はどうでもいい。
だが、これは別件だ。
彼の手に握られているのは準新作のホラーDVD。
俺が苦手なホラー映画。しかもスプラッター。
延滞料金まで付いた恐ろしいDVDだ。
夏休みだからといって返却がだらけがちだからこんなことになる。
俺がずっと前から観よう観ようと言われるたびに断っていたことは延滞に決して関係ない。

そもそも今は何時なんだ?
夜更けにこんなものを観ていいわけがない。
昔から怪談をすれば霊が寄ってくるなんて言うし、それこそ公園の霊が家に入ってきたらどう対処するつもりなんだこいつは。
「ていうことで、そろそろDVDが観たいんだけど、いいかな?」
「......怖くなったら寝るからな」
「その都度起こすよ」
DVDを一緒に観なければ泊めてはもらえないし、泊めてもらえないとなるとあの公園を通らなくちゃいけない。
もうどうにでもなってしまえ。
ここにきてすべてがどうでもよくなってしまい、ふつふつと俺だけが個人的に雪野へ燃やしていた闘争心の火は儚く燃え尽きた。
こうして俺はまた雪野のペースに乗せられることになるんだ。



「早くしろ......」
がたがたとわざとらしいほどに肩を震わせているのは隣の男。
どうやら早くしろ、というのは映画の主人公に向かって言っているようだ。
この映画をアキに見せたかったのは他でもなく、彼の反応が見たかったからである。
彼がホラー映画を苦手だと知っておきながらあえて見せる辺り、自分は性格が悪い。自覚はあるけど、これがなかなかやめられない。
それに、いつも同じ手口に引っかかるアキにも少しは問題があるとは思う。
あの調子だとあと二回くらいは同じ手口で騙せそうだ。

「まだか...?」

「まだじゃない?」
恐らくアキが伺っているのは、音が突然大きくなるタイミング。
まだ序盤だが、この効果は既に二回ほど使われており、その度にびくりと跳ねてしまう自分に怒っては、いつくるかという構えをしている。
「...ふふっ」
「......なんだよ」
「映画が面白くて」
「笑う要素なかったろ」
「あったよ」
ないけど。

「......」
今回はわざと突然音が大きくなる洋画を選んだ。
以前、サイコホラーの映画を見せた時にアキが眠ってしまったのだ。
一人で観るならサイコホラーだが、アキに見せるには向かない。
眠られてしまっては、意味がないのだ。

(......ん?)
体育座りをしながらソファの上にいるアキが手のひらで腕をさすっている姿が目に付いた。
寒いのだろうか。
半袖半ズボンは八月真っ只中、普通の格好だが、エアコンはテレビのすぐ上についているため、僕たちのほうへ風が直接当たる。
パーカーを羽織っていたから全然気づかなかった。
僕はそっとテーブルの上に置いてあるリモコンを手に取る。
設定温度は19度だった。これは寒いな。
3度ほど上げて、再びテーブルへ戻そうとしたのだが、
「うぉッ」
「えっ、あ、ごめん」
ガラスでできたテーブルは、リモコンを置くだけで結構派手な音がしてしまった。
「いや、大丈夫。全然。」
明らかに驚いている。
そのすぐ後にカウンターを畳み掛けるかのようにして、テレビが突然大きな音を出すものだから、僕も驚いてしまった。
アキが驚いたのは...言うまでもない。


にしても、この映画はハズレだな。
キャスト借りしたが本当に面白くない。
アキはすごく集中して観ているようだけど、面白い面白くないの概念では観ていないだろう。
物足りない。やはりスプラッター映画は自分に向いていないようだ。
ただ逃げるだけの主人公。この主人公に感情移入することは難しい。
ただテレビの中で起きている事件を、カメラマンになって追いかけている、そんな気分だ。
アキにはこの映画がどう見えているのだろうか。
僕には分からない。


「ああああああ....」
物語は中盤までやってきた頃合い。
とうとうたくさん人が死にはじめた。

「次は俺だ次は俺だ...どうしよう雪野...」
もはや映画と現実の区別さえ付かなくなっている。
映画の中の殺人鬼が、この家にやってくるのではないのかとまで言い出す始末だ。
その際、突然左手を握られたが、正直僕の手を握っても何も状況は変わらないだろうと思わず口走りそうになる。
さっき自分で今回の映画は面白いと言ってしまったことを思い出したが、アキにとってはあながち嘘でもないかもしれない。
だいたい映画の中の人物が殺しになんて来ないって。
もはや笑っている僕にすら気づかないほど、映画にのめり込んでしまったようだ。

やっぱり、僕とアキ、趣味合わないなあ。


「......」
何分経っただろうか。
あれ以降、アキが何か話すことはなくなった。
完璧に見入ってる。
.....これは...ちょっとつまらないかも。
自分から観ようと誘っておいて、観ないなら帰れ、観たら観たで今度は僕が楽しくない。
自分勝手なのは分かっているのだが、思うことは止められない。
たくさん並べておいたスナック菓子は、既に三袋目を開封した。
主に食べているのは僕だ。
映画よりもこの時間にお菓子をたくさん食べて太ることのほうが怖い。
太っているほうではないが、今の体型を維持したい。

(にしても...)

アキって細いなあ。
以前に食が細いと言っていたので、納得といえば納得の細さだが、正直健康的には見えない。
一人暮らしの僕よりも、両親の家に居るんだからよっぽど健康的な物を食べているだろうに。
なんだか、ここまでひもじい体型だと、心配すらしてしまう。
思えば、Tシャツ半ズボンもかなりぶかぶかだし、見た目よりもっと細いかも。
変わらず体育座りでテレビに釘付けな彼に少しちょっかいがかけたくなった。

(今なら何しても気づかなさそうだし)
僕の心に芽生えたほんの少しいたずらごころが、無防備に晒された脇腹へとそっと手が伸びる。
「ッひ!?」
アキの肩がびっくりするほど跳ねた。
緊張状態にあったため、過剰に反応してしまったのだろう。
これは、楽しいかも。
「なにすんだよッ!」
「ごめんごめん」
わりと本気で怒っているアキを目の前にしても、口元がへらついてしまう。
続行だ。
僕はアキのほうへ向き直り、両手を伸ばした。
本人はそのことにすぐ気づいて阻止しようと腕を伸ばしたが、一瞬反応が遅れ、その手は何も掴むことをできないまま宙を彷徨うことになる。
「アキ、ねえ、アキ。くすぐったい?」
両手で脇腹をくすぐってみると、アキが大きく仰け反った。
「やっ...やめ..ゆきッ...ひっ、あははっ映画観た、いっひひ!」
ソファの上に乗っていた足が、ぐったりとフローリングへ落ちる。
これはあまりにも大袈裟ではないか?と思うが、多分彼はくすぐりに弱いのだろう。
服越しから伝わる骨張った脇腹がまさぐっていて楽しいのでなかなかやめられない。
骨の浮き出た部分を軽く揉むと、アキの体が大きくびくっと跳ねた。
やっぱり。見た目以上に細い。
「あっ!はは、んふふっ、だめだっ、て..っ」
ホラー映画と甘いものが苦手なことくらいは知っていたけど、くすぐりに弱いのは知らなかった。
高校の一年から行動を共にしてきたが、まだ知らないことは意外とあるらしい。
「あっ、ちょ、ソファ狭いからあんまり暴れないでっ」
「無茶っ、あは、はっはほんとっ...やめっ、!」
「ちょっ、痛いッ!」
あまりにばたばたさせる脚が鬱陶しかったので掴もうとしたのだが、失敗してしまった。
その代わりに彼の足が僕の額へと直撃する。
ソファに乗せていたクッションは床に落ち、気づけば体育座りだったアキは、崩れに崩れ、ソファの上に寝転がるような体勢になっていた。
アキの両脚を割って隙間に入り込むと、さらにくすぐりやすい位置に座ることができた。
僕はさらに無防備になったお腹へと手を伸ばせば、彼は僕が触れたことに気づいてハッとした顔を見せるが、起き上がって防御する力も、両手で阻止するために動かす力も入らないらしい。
ああ、この体勢。
なんか、いいな。
アキが女の子だったら、もっと幸せなのに。
でも、多分これは女の子にやったら怒られる。
そもそもこんなことができるほど親密な関係の女の子すら居ないけど。
当分こんなことができる相手はアキくらいしか居なさそうだ。
「も、だめだ...てっ、ひひっ..ふっ..ふふっ!」
「アキ、これ楽しいっ、楽しいっ!」
「楽しくなあ、っ...はははっ、くるしっ...ひひほんっと、んっ、も...っやめよっ....ねっ?んっん」
笑いすぎたのか、アキの目尻は軽く濡れていた。拭う暇もなかったようだ。
正直ここまでする気はなかったのに、日頃のちょっとしたお返しも含め、少し意地悪をしてしまった。純粋に楽しかったのもあるけど。

お返しというのは、丁度1年前の高校三年の頃の分だ。
アキには息を吸うように嘘付きやがってと、小突かれたことがある。
その時、僕はとてつもなく腹が立ったのだ。
息は吸わなければ死ぬが、僕が嘘を付かなくても死ぬことはない。
うまく使えもしない比喩表現を使ったこと。受験生なのに使うことに何故それができなかったのか。僕はそれが許せなかった。
その時こそ喧嘩には発展しなかったが、それを1年越しにさり気なく返すことで大きな喧嘩は今の今まで起きなかったと思いたい。アキも少しずつ僕に鬱憤を晴らしている気がするしね。
僕たちに喧嘩がないのは、こういう地味なストレス解消でうまく回っているからだと思う。

「ってアキ、すごい格好になってるけど」
「...ん、あれ..」
Tシャツがすごい位置までめくれあがってしまったり、髪の毛が乱れてしまったりと、アキはいろいろとすごいことになっていた。
落ちたクッション、散らかったお菓子のくず、袋。部屋がこんなに散らかったのも久しぶりだ。

「風邪引くよ、ほら起きて」
「ん、悪いな」
腕を引っ張り、Tシャツの裾を下に下ろしてやる。
先ほどまで寒がっていた人間の体温とは思えないほど、熱い。
「アキ、腕すっごい熱いんだけど」
「笑いすぎたせいだけど...あぁ...疲れた」
元々がストレートなアキの髪の毛は、手ぐしで十分サラサラになった。
されるがまま黙っているアキが何かの動物に見えてくる。
頭のてっぺんからよしよしと撫でてやると、心地良さそうに目を瞑る姿はまるで猫のようだ。
世話を焼くのは嫌いじゃないけど、なんか違う気がするな。
ま、いいか。
「部屋も暑いし設定温度下げていいかな」
「いいよ」
「あー、楽しかった」
「ほんと、過呼吸になるぞこれ。やる方は楽しいのか....?」
「まあね。女の子にやったらもっと楽しいかな。」
「それは俺もやりたい」
「でしょ、でもアキは髪の毛ちょっと長めだし、眼鏡外して見たら女の子に見えるかもね?」
「ふっ、やめとけ」
「冗談だから」
談笑しつつリモコンを手に取り、僕は再びエアコンの設定温度を3度下げた。
彼とはいつまでも大切な友人でありたい。
大学生活はまだまだあるし、しばらくは騒がしくなりそうだ。
手元のティッシュ箱からティッシュを一枚抜き取り、外した眼鏡のレンズを拭きながらそう思う。
時間も時間だし、アキもそろそろ寝るだろう。
むしろ寝てもらわねば困る。なぜなら

「じゃ、僕は布団でもあっちから持ってこようかな...」


「あっ!待て雪野っ!映画!もう終わってるんだけど!!」
そのままリビングを退場しようと思ったのだが、アキが気付いた。
少しやりすぎた報いがこんなところで返ってくることになるとは。

「えっ?ほ、ほんとだ。」
「雪野。観ようって言ったのはお前だよな。」
「......はい。」
時間は丁度零時を回ったところだ。
夏休みのお泊りというのは本当に良いことがない。
徹夜の予感を感じつつ、僕は再びソファの定位置へ座った。
「で、でも最初から観るとか言わないよね?」
「それいいかもな」
やっぱりアキ怒ってる。分かりやすい態度に清清しささえも感じながら、僕はこれからアキの説教を受けることになるだろう。
今回は何時間かかるかな。



僕とアキが床に就いた時間は朝方だった。
正座で説教を長々とさせられた後に散々くすぐられ、もう一度最初からあの映画を観せられた僕は、死んだ目でテレビを見つめていたと思う。
結局僕の鬱憤晴らしではなく、アキの鬱憤晴らしのような気がしなくもない。
- - - - - - - 2013/10.26
男子大学生がじゃれあってる空間に放り込まれて眺めていたいです